三日に一度くらい書けたらいいなの日記。たまにみじかい話も書きます。
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2025.04.20 Sunday
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更新/ぺよん
2011.10.24 Monday
続きから、足立と番長の季節はずれな話です。なんとなくネタバレぽい上に、双方ともに性格がアレでアレな感じです。
パソコン直ってサイトちゃんといじれるようになったら、テキストページに移動させます。
拍手ありがとうございます!
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(ぺよん/足立と番長)
終わってしまった夏休みを惜しみ、終わっていない宿題をゲラゲラ笑い飛ばしながら、女子高生たちが足立の横を通り過ぎていく。お馴染みのジュネスでお馴染みの雨宿りをしていた足立の足に、彼女たちの持つ濡れた傘のうちの一本がぶつかり、くたびれたズボンに雨染みができた。
濃い化粧をした顔で「宿題」と幼い言葉を吐き、用心深く折り畳み傘は持ち歩いても傘袋を使うという思慮は持たない中途半端な女の集団を、足立は冷めた目で見遣る。ざまあみろこっちは休みなんかないんだよ、と胸中で悪態をついたが、夏休みとは終わって惜しいものだったろうかと考えると、即座に肯定できるだけの思い出を持ち合わせていないことに気がついた。
こどものころは、夏休みは短いと感じていたように思う。それなりに楽しく過ごしていたのだろう、たぶん。大学時代の夏休みはやたら長くて時間を持て余していたような気がする。することも、したいことも、何もなかったのだろう、きっと。
記憶に残っていないのなら、楽しかろうと退屈だろうと同じことだ。惜しい時間ではなかったということだ。意味がなかったということだ。
(そういえば明日は昼からでいいんだっけ)
女子高生たちの甘ったるい残り香に顔をしかめながら、足立は今朝上司から受けた業務命令を思い出す。捜査本部に泊まることの多い部下に対する純粋な労いなのか、ゆっくり風呂に入って食って寝て、たまにはしゃきっとした面で仕事に出てこいという遠回しな叱咤であるのか、ぶっきらぼうなベテラン刑事の真意は足立みたいな「万年新米」の若造には読めない。
足立にわかるのは、いまこの町で起こっている事件が解決しない限り、まともな休みは望めないということだ。そしてこの事件は、確実に、警察の手に余る。
通りを濡らす雨をガラスの壁越しに眺めながら、もしもいま夏休みがもらえるなら、と足立はありえない明日に思いを馳せてみる。どこか温泉にでも行ってゆっくりしたいなあ。
「足立さん」
背後で浮かれた声がした。はきはきと名前を呼んだあと、小声で「発見伝」と付け加えたのもちゃんと聞こえた。聞こえなかったふりをしてフロアの奥のエレベーターにしれっと乗り込んでしまいたい衝動が足立を襲ったが、残念なことに、エレベーターの扉よりも背後の人物との距離のほうが近いようだ。何より、背後の人物はたぶんたったいまエレベーターから降りてきたところなので、足立とエレベーターとのあいだのこの上ない障害物なのだった。
あきらめて、密かにため息をついてからゆっくり振り返ると、少年がひとり立っていた。黒い学生服姿で、内側の不透明な落ち着き払った顔をして、それでいて目だけはあらゆる存在と事象に興味を示してよく動く。
まったく予想通りの人物であり、服装であり、表情だったのがむしろ笑えず、予想以上に気が重くなるのを足立は感じた。
「いま、ため息をついた」
無表情のまま少年が言った。それはわざわざ口に出して確認しなければならないほどの重要事項なのだろうか。
ついてないよと足立が嘘をつくと、少年もまた、そうですか、と社交辞令のように応じた。互いに対する信頼度は、まるでさっきの女子高生たちの頭の中身みたいにスカスカだ。
それでも、少年はどうやら機嫌がいいようだった。目も口もひとつも笑っていないが、妙に浮ついて聞こえる声音と、身にまとう弾んだ空気がそれを物語っている。
めずらしいな、とあまりいい気分ではないまま足立は思った。普段のこの少年を一見したとき、活発であるという印象はおよそない。受けるイメージといえば冷静沈着、あるいは孤高、シニック、気怠げ、面倒なので端的に身も蓋もなく言えば、何考えてるかさっぱりわからない変なガキ。
そのわかりにくいこどもが、わかりやすくうきうきと、足立の目の前に立っている。
(もう夏休みは終わっちゃったんでしょ?)
足立が黙って見つめていると、少年はすこし戸惑ったようにまばたきをして、どうかしましたか足立さん、と言った。
(何がそんなに楽しいの)
口をききたくないなあ、きみみたいな子とは。
「きみこそどうしたの、夏休み明けだっていうのに元気だね。学校うぜえーとかならないの?」
「足立さんはなるんですか」
「僕には夏休みなんてありません」
足立が大げさに肩を落として見せると、少年は途端に憂いをたたえた目で足立を見た。厚い前髪に隠れて見えないが、子犬の耳が垂れ下がるみたいに、眉も八の字に下がっているのかもしれない。彼がそんな顔をする義理など、この狭い町どころか、世界中どこを探したって見当たらないのに。
「足立さんかわいそう」
笑うべきなのか腹を立てるべきなのかわからず、足立は一瞬完全に感情を見失って無反応になってしまった。かわいそうって。この少年はおそらくとても聡明であるはずなのに、ときおりひどく幼い物言いをする。隠し立てをしないとか馬鹿正直とかいうのではなくて、まだ語彙のすくない小学校低学年の生徒のように、ただ純粋に簡単で、幼い。足立にはそう感じられる。
(かわいそうって!)
きみが僕を哀れむ必要がどこに。僕がきみに哀れまれる必要がどこに?
腰骨のあたりから何か生あたたかいものが、背骨を伝ってぞわぞわと首筋付近にまで這いのぼってくるのを足立は感じた。うなじの産毛が逆立っているような気がする。耳や顔の産毛までそうなってしまう前に、足立は全力で話を逸らした。
「僕が夏休み取れるように、堂島さんに掛け合ってくれる?」
あまり逸らせなかった。
「総力をあげて根回ししておきます」
「いや、やっぱりいいや」
足立が少年に見たと思った幼さはあっという間に消え失せた。小学生は「根回し」なんて言わない。そんな底なしの競争社会に首までつかったサラリーマン工作員みたいなことは言わない。その単語がこんなに不吉に聞こえたのは生まれてはじめてだ。
「任せておいてください」
「あの、ごめんね、ほんとにいいから」
「太郎さんは、ああ見えて結構俺の頼みは聞いてくれたりするので」
「いいってば! いまのは聞かなかったことにして、お願い!」
足立が顔の前で手を合わせて本気で拝むと、少年はすこし不思議そうな顔をしたあと、足立さんおもしろい、と笑った。また小学生だ。というかもはや幼児の片言みたいに聞こえる。
少年は本当に、滅多にないほど機嫌がいいのだろう。通常、こういうときの彼の笑顔は、とりわけ足立に向けられる笑顔は、いまのように率直で晴れやかなものではなく、ハン、とせせら笑うような斜に構えた顔であるはずなのだ。被害妄想ではなく、現にこれまでそうだったのだ。
だから、少年のスマートな外見に反して難解な迷路状に込み入っているのだろう根性が正しくまっすぐに出口まで通じるようになったとか、彼の足立に対する好感度が急上昇したとか、そういう奇跡がここ二、三日のあいだに起こっていない限り、彼は遠慮なく足立を鼻で笑うはずなのである。
この少年が甚だ捩れのないきれいなこころを持つこと、そんな彼に自分が好かれるということ、を、想像した途端、首の後ろのぞわぞわが気持ち悪さ三割増しで復活したので、足立はまた力いっぱい話を逸らした。
「夏休み終わっちゃったのにご機嫌だね。学校好きなの?」
やっぱりあまり逸らせなかった。しかも似たようなことをさっきも言ったような気がする、芸がない。
学校は好きです、と少年はわずかも思案せずに答えた。そんなふうに即答できる学校生活を送っているなんて羨ましい、とは足立は思わなかった。奇特な子だなあと通り一遍の感心をした。
八高は楽しいですよ、と言った少年の声を足立は意識の端っこのほうでしか聞いていなかった。それなのに、「学生」という単なる記号としてしか捉えていなかった少年の制服の存在感が、急に誇らしささえまとって黒々と増したように見えて、瞬時に忌ま忌ましさが身の内に膨れ上がる。
(前の学校は楽しくなかったんだ?)
くだらない揚げ足取りだったが、素知らぬ顔で尋ねてやればすくなからず少年を傷つける予感がして、足立はすこし逡巡した。口に出すのをためらったのではなく、特に根拠もなくそう予感したことに内心首を傾げていただけだったのだが、その隙をつくように少年がずいと近づいてきた。黒い学生服の鬱陶しい圧迫感に足立は後ずさろうとしたが、
「菜々子も学校が好きだって言ってました」
生き生きした目で嬉々として告げる少年に阻まれた。少年のほうが背が高いので、間近に立たれると鬱陶しさが増す。男のプライド的な点で不愉快さも増す。
「学校が始まって毎日友達に会えるようになって嬉しいって」
「ああ、そう」
足立は気のない返事をした。実際興味がなかった、学校大好きの良い子兄妹の話などには。それよりも。
「でも夏休みがもっと長かったらよかったのに、とも言ってた」
「そりゃそうだろうね」
それよりも、だ。
「そのほうがお兄ちゃんとたくさん一緒にいられるからって!」
「きみさ、僕の足踏んでるんだよね」
足立がやんわりと指摘すると、少年は驚いたように足元に視線を落とした。あちこち擦り傷だらけの足立の革靴のつま先を、まだ新品の名残りの艶を浮かべた少年のローファーが踏んづけていた。
「これはどうも気がつきませんで」
棒読みである。しかも言ってからやっと足をどかすのである。
「いまのとこ、身が入ってましたか?」
「入ってたよ!」
入ってなきゃいいのかよと突っ込む気すら失せるふてぶてしさ、さっきまでの生き生き感をあからさまに明後日の方向にぶん投げて捨てたかのような平たい目をして、少年はかろうじて頭を下げた。そしてその浅い謝罪を済ませた途端、少年は急激に、完全に、足立への興味を失ったようだった。
彼の溺愛する従妹の愛らしい言動について、足立が何もコメントしなかったからである。清々しいほどのシスコン! 足立は本心から苦笑した。清々しすぎて嘲るのも馬鹿らしい。
少年が店の出入り口のほうに顔を向けたので、めでたく帰る気になってくれたのかと期待したら、またすぐに足立に視線が戻ってきた。ご機嫌が鳴りを潜めた瞳は平べったいままだ。
「夏休みが取れたら、何か予定はあるんですか?」
もはやまったく興味のない相手と、それでもまだ会話をつなごうと試みる少年の無駄な社交性に、足立は反射的に目を細めた。クソ迷惑だな、という感想を、正体不明の虫のさなぎみたいにまるまると太るまでオブラートに包んで、頼りなく笑って見せた。
「そうだなあ、山奥の温泉にでも行ってゆっくりしたいかな」
少年はなんだかちょっと変な顔をした。足立も、自分がたぶんちょっと変な顔になっているだろうと思った。知りたくもないことを訊いて、思ってもいないことを答えたのだから、こんなものだ。二人してうっすら気持ち悪くなっただけなんて、いっそ喝采したくなるほど無益。
「じゃあ、雨がひどくなりそうなので、帰ります」
少年は無理やり会話を続けようとするのをすぐにあきらめた。あきらめるのだったら最初から挑まないでくれるとありがたい。
少年はこの八十稲羽で無節操に交友関係を広げているようだが、足立はそこに組み込まれるのはまっぴらご免である。少年は足立の上司の甥であり、その時点でもう自動的に「無関係ではない」という抗いようのない関係が成り立ってしまっている、それだけで十分なのである。
町なかで叔父の部下に会うたびにわざわざ声をかけてくるなんて、しかも挨拶だけでは済まず何かしらコミュニケーションを持とうとするなんて、都会育ちのこどものすることとは思えない。近頃のこどもは挨拶もろくにできないって言ったのは誰だ。
少年の交友スキルの高さは、足立にとってはただひたすらに迷惑で面倒だ。だから少年が進んでこの場を去ってくれるのは、心からありがたいことだった。雨がひどくなることを予期した少年が、その大きな傘を広げて、傘を持たない足立を置き去りにするのだとしても。
消えてくれてありがとう、と礼を述べる代わりに、気をつけてねとおざなりに言って、足立は少年に背を向けた。雨もやまないようだし、食品売り場でもぶらついてこよう。
「足立さん」
呼び止めるんじゃないよ、クソガキ。
「なに?」
立ち止まり、足立は振り返る。じっと足立を見つめている少年の目が、また何かしら興味を示して光り始めているのに気がついた。不吉だ。
「夏休み取れるといいですね」
「堂島さんに言わなくていいからね!?」
足立さんおもしろい、と今度は少年は言わなかったが、そう思っているだろうことはひと目でわかった。
じゃあね! と言い置いて足立は足早にその場をあとにした。後ろで少年が、足立が思うところの彼らしい斜に構えた顔で、ハン、と鼻を鳴らした気がした。
終わってしまった夏休みを惜しみ、終わっていない宿題をゲラゲラ笑い飛ばしながら、女子高生たちが足立の横を通り過ぎていく。お馴染みのジュネスでお馴染みの雨宿りをしていた足立の足に、彼女たちの持つ濡れた傘のうちの一本がぶつかり、くたびれたズボンに雨染みができた。
濃い化粧をした顔で「宿題」と幼い言葉を吐き、用心深く折り畳み傘は持ち歩いても傘袋を使うという思慮は持たない中途半端な女の集団を、足立は冷めた目で見遣る。ざまあみろこっちは休みなんかないんだよ、と胸中で悪態をついたが、夏休みとは終わって惜しいものだったろうかと考えると、即座に肯定できるだけの思い出を持ち合わせていないことに気がついた。
こどものころは、夏休みは短いと感じていたように思う。それなりに楽しく過ごしていたのだろう、たぶん。大学時代の夏休みはやたら長くて時間を持て余していたような気がする。することも、したいことも、何もなかったのだろう、きっと。
記憶に残っていないのなら、楽しかろうと退屈だろうと同じことだ。惜しい時間ではなかったということだ。意味がなかったということだ。
(そういえば明日は昼からでいいんだっけ)
女子高生たちの甘ったるい残り香に顔をしかめながら、足立は今朝上司から受けた業務命令を思い出す。捜査本部に泊まることの多い部下に対する純粋な労いなのか、ゆっくり風呂に入って食って寝て、たまにはしゃきっとした面で仕事に出てこいという遠回しな叱咤であるのか、ぶっきらぼうなベテラン刑事の真意は足立みたいな「万年新米」の若造には読めない。
足立にわかるのは、いまこの町で起こっている事件が解決しない限り、まともな休みは望めないということだ。そしてこの事件は、確実に、警察の手に余る。
通りを濡らす雨をガラスの壁越しに眺めながら、もしもいま夏休みがもらえるなら、と足立はありえない明日に思いを馳せてみる。どこか温泉にでも行ってゆっくりしたいなあ。
「足立さん」
背後で浮かれた声がした。はきはきと名前を呼んだあと、小声で「発見伝」と付け加えたのもちゃんと聞こえた。聞こえなかったふりをしてフロアの奥のエレベーターにしれっと乗り込んでしまいたい衝動が足立を襲ったが、残念なことに、エレベーターの扉よりも背後の人物との距離のほうが近いようだ。何より、背後の人物はたぶんたったいまエレベーターから降りてきたところなので、足立とエレベーターとのあいだのこの上ない障害物なのだった。
あきらめて、密かにため息をついてからゆっくり振り返ると、少年がひとり立っていた。黒い学生服姿で、内側の不透明な落ち着き払った顔をして、それでいて目だけはあらゆる存在と事象に興味を示してよく動く。
まったく予想通りの人物であり、服装であり、表情だったのがむしろ笑えず、予想以上に気が重くなるのを足立は感じた。
「いま、ため息をついた」
無表情のまま少年が言った。それはわざわざ口に出して確認しなければならないほどの重要事項なのだろうか。
ついてないよと足立が嘘をつくと、少年もまた、そうですか、と社交辞令のように応じた。互いに対する信頼度は、まるでさっきの女子高生たちの頭の中身みたいにスカスカだ。
それでも、少年はどうやら機嫌がいいようだった。目も口もひとつも笑っていないが、妙に浮ついて聞こえる声音と、身にまとう弾んだ空気がそれを物語っている。
めずらしいな、とあまりいい気分ではないまま足立は思った。普段のこの少年を一見したとき、活発であるという印象はおよそない。受けるイメージといえば冷静沈着、あるいは孤高、シニック、気怠げ、面倒なので端的に身も蓋もなく言えば、何考えてるかさっぱりわからない変なガキ。
そのわかりにくいこどもが、わかりやすくうきうきと、足立の目の前に立っている。
(もう夏休みは終わっちゃったんでしょ?)
足立が黙って見つめていると、少年はすこし戸惑ったようにまばたきをして、どうかしましたか足立さん、と言った。
(何がそんなに楽しいの)
口をききたくないなあ、きみみたいな子とは。
「きみこそどうしたの、夏休み明けだっていうのに元気だね。学校うぜえーとかならないの?」
「足立さんはなるんですか」
「僕には夏休みなんてありません」
足立が大げさに肩を落として見せると、少年は途端に憂いをたたえた目で足立を見た。厚い前髪に隠れて見えないが、子犬の耳が垂れ下がるみたいに、眉も八の字に下がっているのかもしれない。彼がそんな顔をする義理など、この狭い町どころか、世界中どこを探したって見当たらないのに。
「足立さんかわいそう」
笑うべきなのか腹を立てるべきなのかわからず、足立は一瞬完全に感情を見失って無反応になってしまった。かわいそうって。この少年はおそらくとても聡明であるはずなのに、ときおりひどく幼い物言いをする。隠し立てをしないとか馬鹿正直とかいうのではなくて、まだ語彙のすくない小学校低学年の生徒のように、ただ純粋に簡単で、幼い。足立にはそう感じられる。
(かわいそうって!)
きみが僕を哀れむ必要がどこに。僕がきみに哀れまれる必要がどこに?
腰骨のあたりから何か生あたたかいものが、背骨を伝ってぞわぞわと首筋付近にまで這いのぼってくるのを足立は感じた。うなじの産毛が逆立っているような気がする。耳や顔の産毛までそうなってしまう前に、足立は全力で話を逸らした。
「僕が夏休み取れるように、堂島さんに掛け合ってくれる?」
あまり逸らせなかった。
「総力をあげて根回ししておきます」
「いや、やっぱりいいや」
足立が少年に見たと思った幼さはあっという間に消え失せた。小学生は「根回し」なんて言わない。そんな底なしの競争社会に首までつかったサラリーマン工作員みたいなことは言わない。その単語がこんなに不吉に聞こえたのは生まれてはじめてだ。
「任せておいてください」
「あの、ごめんね、ほんとにいいから」
「太郎さんは、ああ見えて結構俺の頼みは聞いてくれたりするので」
「いいってば! いまのは聞かなかったことにして、お願い!」
足立が顔の前で手を合わせて本気で拝むと、少年はすこし不思議そうな顔をしたあと、足立さんおもしろい、と笑った。また小学生だ。というかもはや幼児の片言みたいに聞こえる。
少年は本当に、滅多にないほど機嫌がいいのだろう。通常、こういうときの彼の笑顔は、とりわけ足立に向けられる笑顔は、いまのように率直で晴れやかなものではなく、ハン、とせせら笑うような斜に構えた顔であるはずなのだ。被害妄想ではなく、現にこれまでそうだったのだ。
だから、少年のスマートな外見に反して難解な迷路状に込み入っているのだろう根性が正しくまっすぐに出口まで通じるようになったとか、彼の足立に対する好感度が急上昇したとか、そういう奇跡がここ二、三日のあいだに起こっていない限り、彼は遠慮なく足立を鼻で笑うはずなのである。
この少年が甚だ捩れのないきれいなこころを持つこと、そんな彼に自分が好かれるということ、を、想像した途端、首の後ろのぞわぞわが気持ち悪さ三割増しで復活したので、足立はまた力いっぱい話を逸らした。
「夏休み終わっちゃったのにご機嫌だね。学校好きなの?」
やっぱりあまり逸らせなかった。しかも似たようなことをさっきも言ったような気がする、芸がない。
学校は好きです、と少年はわずかも思案せずに答えた。そんなふうに即答できる学校生活を送っているなんて羨ましい、とは足立は思わなかった。奇特な子だなあと通り一遍の感心をした。
八高は楽しいですよ、と言った少年の声を足立は意識の端っこのほうでしか聞いていなかった。それなのに、「学生」という単なる記号としてしか捉えていなかった少年の制服の存在感が、急に誇らしささえまとって黒々と増したように見えて、瞬時に忌ま忌ましさが身の内に膨れ上がる。
(前の学校は楽しくなかったんだ?)
くだらない揚げ足取りだったが、素知らぬ顔で尋ねてやればすくなからず少年を傷つける予感がして、足立はすこし逡巡した。口に出すのをためらったのではなく、特に根拠もなくそう予感したことに内心首を傾げていただけだったのだが、その隙をつくように少年がずいと近づいてきた。黒い学生服の鬱陶しい圧迫感に足立は後ずさろうとしたが、
「菜々子も学校が好きだって言ってました」
生き生きした目で嬉々として告げる少年に阻まれた。少年のほうが背が高いので、間近に立たれると鬱陶しさが増す。男のプライド的な点で不愉快さも増す。
「学校が始まって毎日友達に会えるようになって嬉しいって」
「ああ、そう」
足立は気のない返事をした。実際興味がなかった、学校大好きの良い子兄妹の話などには。それよりも。
「でも夏休みがもっと長かったらよかったのに、とも言ってた」
「そりゃそうだろうね」
それよりも、だ。
「そのほうがお兄ちゃんとたくさん一緒にいられるからって!」
「きみさ、僕の足踏んでるんだよね」
足立がやんわりと指摘すると、少年は驚いたように足元に視線を落とした。あちこち擦り傷だらけの足立の革靴のつま先を、まだ新品の名残りの艶を浮かべた少年のローファーが踏んづけていた。
「これはどうも気がつきませんで」
棒読みである。しかも言ってからやっと足をどかすのである。
「いまのとこ、身が入ってましたか?」
「入ってたよ!」
入ってなきゃいいのかよと突っ込む気すら失せるふてぶてしさ、さっきまでの生き生き感をあからさまに明後日の方向にぶん投げて捨てたかのような平たい目をして、少年はかろうじて頭を下げた。そしてその浅い謝罪を済ませた途端、少年は急激に、完全に、足立への興味を失ったようだった。
彼の溺愛する従妹の愛らしい言動について、足立が何もコメントしなかったからである。清々しいほどのシスコン! 足立は本心から苦笑した。清々しすぎて嘲るのも馬鹿らしい。
少年が店の出入り口のほうに顔を向けたので、めでたく帰る気になってくれたのかと期待したら、またすぐに足立に視線が戻ってきた。ご機嫌が鳴りを潜めた瞳は平べったいままだ。
「夏休みが取れたら、何か予定はあるんですか?」
もはやまったく興味のない相手と、それでもまだ会話をつなごうと試みる少年の無駄な社交性に、足立は反射的に目を細めた。クソ迷惑だな、という感想を、正体不明の虫のさなぎみたいにまるまると太るまでオブラートに包んで、頼りなく笑って見せた。
「そうだなあ、山奥の温泉にでも行ってゆっくりしたいかな」
少年はなんだかちょっと変な顔をした。足立も、自分がたぶんちょっと変な顔になっているだろうと思った。知りたくもないことを訊いて、思ってもいないことを答えたのだから、こんなものだ。二人してうっすら気持ち悪くなっただけなんて、いっそ喝采したくなるほど無益。
「じゃあ、雨がひどくなりそうなので、帰ります」
少年は無理やり会話を続けようとするのをすぐにあきらめた。あきらめるのだったら最初から挑まないでくれるとありがたい。
少年はこの八十稲羽で無節操に交友関係を広げているようだが、足立はそこに組み込まれるのはまっぴらご免である。少年は足立の上司の甥であり、その時点でもう自動的に「無関係ではない」という抗いようのない関係が成り立ってしまっている、それだけで十分なのである。
町なかで叔父の部下に会うたびにわざわざ声をかけてくるなんて、しかも挨拶だけでは済まず何かしらコミュニケーションを持とうとするなんて、都会育ちのこどものすることとは思えない。近頃のこどもは挨拶もろくにできないって言ったのは誰だ。
少年の交友スキルの高さは、足立にとってはただひたすらに迷惑で面倒だ。だから少年が進んでこの場を去ってくれるのは、心からありがたいことだった。雨がひどくなることを予期した少年が、その大きな傘を広げて、傘を持たない足立を置き去りにするのだとしても。
消えてくれてありがとう、と礼を述べる代わりに、気をつけてねとおざなりに言って、足立は少年に背を向けた。雨もやまないようだし、食品売り場でもぶらついてこよう。
「足立さん」
呼び止めるんじゃないよ、クソガキ。
「なに?」
立ち止まり、足立は振り返る。じっと足立を見つめている少年の目が、また何かしら興味を示して光り始めているのに気がついた。不吉だ。
「夏休み取れるといいですね」
「堂島さんに言わなくていいからね!?」
足立さんおもしろい、と今度は少年は言わなかったが、そう思っているだろうことはひと目でわかった。
じゃあね! と言い置いて足立は足早にその場をあとにした。後ろで少年が、足立が思うところの彼らしい斜に構えた顔で、ハン、と鼻を鳴らした気がした。
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